TPPがもたらす動態的経済効果

RIETI(経済産業研究所)のHPに東京大学の戸堂康之教授によるTPPに関するSpecial Reportが掲載されていたので紹介します。

TPPの成長効果推計
1. これまでのTPPの効果分析
TPPがGDPに与える効果の推計は、さまざまな方法で行われている。最もよく知られているのは、川崎研一・内閣府経済社会総合研究所客員主任研究官がRIETIのコンサルティング・フェローとしての活動において、GTAP(Global Trade Analysis Project)モデルというマクロ経済モデルを利用したシミュレーションによって推計したものである。それによると、TPPに参加することで実質GDPは2.4〜3.2兆円、対GDP比にして0.48〜0.65%程度増えるという(国家戦略室, 2010; 川崎, 2011)。GTAPモデルに海外直接投資などを取り入れてさらに発展させたモデルを利用したPetri and Plummer(2012)によると、日本と韓国がTPPに参加した場合、2020年の日本のGDPは、参加しなかった場合にくらべて955億ドル(約9兆円)、つまり2%程度大きくなる。
2. 「3人寄れば文殊の知恵」によるTPPの成長効果
しかし、これらの推計はTPPの効果を過小評価している。なぜなら、これらはTPPによって貿易や投資の障壁が低くなることで輸出や投資が増え、それによって国内生産が増えるという直接的な効果のみに焦点を当てているからだ。しかし、TPPの効果の本質は、貿易、対内・対外投資など経済のグローバル化を介して日本人が世界の多様な人材とつながることで、新しい知識を互いに吸収し、議論し、視野を広げ、刺激を受けあって、国内のイノベーションや技術革新が促進されることにある。
(中略)
TPPは国内のイノベーションを持続的に刺激するために、GDPを一時的に押し上げるだけではなく、GDP成長率を引き上げるため、長期的な効果が大きくなることは十分に理解されていない。下の図を見ていただきたい。Petri and Plummer(2012)などのこれまでの推計では、TPPは長期的にはGDPの絶対額を引き上げるが、(他の要因による成長がない限り)GDPの成長はやがて止まり、一定のGDPで推移する(赤い曲線A)。しかし、TPPがイノベーションの促進によって経済成長率を上昇させれば、GDPは恒久的に増え続ける(青い曲線B)。当然、成長率に対する効果がある場合の方が累積的な効果ははるかに大きい。

3. TPPは1人当たりGDP成長率を1.5%引き上げる
では、このような成長効果はいったいどのくらいになるのか。Petri and Plummer(2012)がTPPによって貿易や投資がどの程度増えるかを推計したことで、TPPによる成長効果推計もかなり精密にできるようになった。なぜなら、貿易や海外直接投資が1人当たりGDP成長率に与える効果を推計した研究はすでに1990年代や2000年代に膨大に蓄積されているので、これらの結果とPetri and Plummer(2012)の推計を組み合わせれば、TPPが1人当たりGDP成長率に与える効果は推計できるからだ。これまで、筆者自身も戸堂(2011)などでTPPの成長効果の推計を試みてきたが、貿易や投資額の増加に関する精緻な推計がなく、かなり大胆な仮定を置いて推計せざるを得なかった。その点、本稿での推計はPetri and Plummer(2012)の推計に基づく貿易や投資額の増加分を利用しているので、その信頼性は高いと考えられる。
まず、貿易量の増加の効果を見てみよう。Petri and Plummer(2012)によると、TPPによって2020年には日本の貿易額(輸出額と輸入額の和)は3400億ドル、GDP比にして6.8%ポイント増加する。Lee et al.(2004)によると、貿易額の対GDP比が1%ポイント増加すると、1人あたりGDP成長率は0.027%ポイント増加する(同論文のTable 5bを参照)と推計されている。したがって、TPPによる貿易量の増加によって、2020年の日本の1人当たりGDP成長率は6.8×0.027=0.18%ポイント上昇すると考えられる。日本の最近20年間の1人当たり実質GDP成長率は0.8%程度であるから、この上昇幅は相当大きい。
しかし、より大きな効果が対日投資の増加によって期待できる。Petri and Plummer(2012)の推計では、TPPによって対日投資は1556億ドル、対GDP比で3.1%ポイント増加する。Alfaro et al.(2004)によると、対内直接投資は1人当たりGDP成長率を上昇させる効果があり、しかも、その効果はその国の金融制度が発達しているほど大きい。彼らの推計では、対内直接投資の対GDP比が1%ポイント増加すると、民間融資額の対GDP比の自然対数値×0.78%ポイント上昇する(同論文のTable 4の第4列を参照)。2010年の日本の民間融資額の対GDP比は1.72であるので(世界銀行の世界開発指標による)、TPPによる対日投資の増加は、3.1×loge1.72×0.78=1.3%ポイントほど1人当たりGDP成長率を上昇させる。
したがって、貿易と対内直接投資の効果を合わせると1.5%ポイント増となり、過去20年間の平均の1人当たり実質GDP成長率が0.8%だった日本が、TPPによって2%超の成長を達成する可能性があるということになる。まさに、TPPこそが成長戦略の要となりうるわけだ。<<

文中にあるPetri and Plummer(2012)の試算については、すでにここで紹介している。

FTAによる貿易・投資の自由化が経済に及ぼす影響には、大きく分けて静態的効果動態的効果があると言われている。
静態的効果とは、技術水準を一定としたうえで、貿易・投資の自由化がもたらす生産構造の変化(比較優位を持つ産業部門の拡大と比較劣位を持つ産業部門の縮小)によって実質所得(GDP)がどれほど変化するのかを示しているのに対し、動態的効果とは貿易・投資の自由化が技術進歩に与える影響まで考慮したものである。
技術進歩を考慮していないため、静態的効果は一時的なGDPの増加しか予測することができないのに対し、動態的効果は技術進歩率の変化を扱うので、持続的な成長率の変化を考慮することができ、累積的なGDPの増加を予測することができるのだ。戸堂教授の描いた図はその違いを表している。
我々がよくニュースなどで聞く内閣府などが行う政府試算は、静態的効果のみを考慮したものである。動態的効果を考慮していないという点で、政府試算はTPPの影響を過小評価している。
なぜ政府試算に動態的効果が入っていないのかというと、静態的効果の予測手法についてはGTAPモデルという手法が確立されているのに対し、動態的効果を予測する手法はまだ確立されていないからだ。
しかし、この十年ほどで、様々な国について貿易・投資の自由化が国内企業の生産性に及ぼす影響が試算されており、戸堂教授はこれらの過去の分析を基に、TPPが日本にもたらす動態的影響を試算してみたということだ。

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多国籍企業との緊張関係が、受入国企業の生産性を向上させる。

VOXよりMultinationals assist domestic suppliers? Perhaps think againを読みました。

(要旨)
The positive spillovers from multinationals to the productivity of their host-country suppliers are empirically well established. Usually, it is assumed that multinationals aid their suppliers by voluntarily sharing knowledge and cooperating with them. This column argues the spillovers might rather result from blunt pressure by the multinationals, forcing their suppliers to adopt new practices and to adapt to new standards.
(和訳)
多国籍企業が受入国の調達先の生産性を改善させるという正のスピルオーバー効果は、実証研究によって広く認められている。その際、多国籍企業は、進んで現地の調達先と知識を共有し協調活動を取るものと仮定されている。このコラムでは、多国籍企業がもたらす正のスピルオーバー効果は、むしろ調達先に最新の手法や基準への適応を強いる多国籍企業による容赦のない圧力の結果生まれていると論じている。

優れた技術や知識を持つ多国籍企業の進出が、受入国の現地企業の生産性の向上につながるというスピルオーバー(技術伝播)効果は、多くの研究によって示されている。スピルオーバーが生じる経路については、間近で多国籍企業の活動を観察することによってその技術や知識を吸収することが可能になるというデモンストレーション効果によるもの、多国籍企業の子会社で雇用され、その技術やノウハウを吸収した労働者が現地企業に転職(もしくは自ら起業)することによって生じるという労働移動を通じたものなどがあるが、調達先と納入先という垂直的取引関係を通じたスピルオーバーはその中でも最も有力なものである。

垂直的取引関係を通じたスピルオーバーが発生する理由として一般的にあげられるのは、多国籍企業にとって調達先や納入先といった現地の取引先の生産性向上は自らの生産性向上にもつながる一方で、調達先や納入先と市場で競合することはないため、現地企業の生産性向上が自らの利潤の減少につながらないことから、多国籍企業から現地企業への技術移転が促進されやすくなることである。

しかし、今回のBlog記事で紹介されているキール世界経済研究所のHolger Gorg教授らの研究によると、多国籍企業と現地企業との関係はそのような仲睦まじいものというより、多国籍企業が現地企業に厳しい要求を突きつけ、それに付いて来させるというスポ根的な関係であるというのだ。このような関係を彼らは"forced linkage"と呼んでいる。

Gorg教授らは、2002-05年の欧州の体制移行国の企業データを用いて、多国籍企業との取引関係の有無、新技術の導入、顧客との協調関係、競合企業や顧客企業からの圧力の存在が現地企業の生産性に与える影響を分析して次のような結果を得た。

  • 多国籍企業との取引関係、新技術の導入、競合相手からの圧力は生産性に対して特に影響を与えていない。
  • 顧客からの圧力は一般的には生産性を低下させるが、多国籍企業と取引関係にあり、かつ顧客からの圧力がある場合、生産性は向上する。

2番目の結果が、多国籍企業からの圧力が現地企業の生産性を向上させるという"forced linkage"の存在を意味していると彼らは結論付けている。

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ルービニのQE(量的緩和)批判

QEが招く10の問題点 日経ビジネスonlineより*1

ルービニは、リーマンショックに始まる世界金融危機の発生を事前に予測したとして著名な経済学者だ。
そのルービニが、現在欧米諸国や日本が行っている量的緩和政策に対して10の批判を展開している。日銀は新たな新総裁の下、より一層の量的緩和策を展開すると思われるが、万能の政策などこの世になく、どんな政策にもコストやリスクが付きまとう。改めて量的緩和政策のコストとリスクをしっかりと認識する必要があるだろう。

ルービニの批判は次のようなものだ。

(1)純粋な「オーストリア学派」のアプローチ(つまり緊縮策の採用)によって、資産や信用バブルを崩壊させようとすれば不況を招く恐れがある一方、QE政策に依存し、必要な民間・公共部門の債務削減を先送りしすぎれば、至る所で「ゾンビ」が跋扈する事態となりかねない
(2)繰り返しQEを導入すれば、いずれ実体経済活動への波及経路が目詰まりを起こし、効果がなくなる可能性が出てくる。
(3)金融緩和により通貨安を実現するというQEの為替経路は、いくつかの主要中央銀行が一斉にQEを実行すれば、効果はなくなる。すべての国の通貨が同時に下落することなど不可能である以上、すべての国の貿易収支が同時に改善することもあり得ない。
(4)先進国がQEを実施すれば過剰な資本が新興国流入するため、新興国は困難な政策誘導を迫られる
(5)持続的なQEは、QE実施国のみならず、QEの影響が波及する国でも資産バブルを招く恐れがある。そうしたバブルは株式市場から住宅市場、国際商品市場、国債市場、信用市場まで、様々な市場で起こり得る。
(6)QEは必要な経済改革を断行する政府の意欲をそぐという問題を引き起こしかねない。巨額の財政赤字が通貨の増発により賄われ(マネタイゼーション)、しかも金利が過度に低水準に維持されれば、市場が政府に財政規律を課すことが妨げられ、必要な財政の緊縮が先送りされてしまう。
(7)QEからの出口戦略は難しいQEからの脱却が遅れて時機を逸すれば、インフレが加速し、資産と信用のバブルが膨らむことになる。
(8)長期にわたり実質金利をマイナスにとどめることは、所得と富を債権者と貯蓄者から債務者と借り手に再配分することを意味する
(9)QEを含む非伝統的な金融政策は、深刻な意図せざる結果をもたらしかねない
(10)伝統的な金融政策に戻るための道筋を完全に見失うリスクもある

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日本がTPPに参加表明。日本は何を勝ち取ろうというのか

ようやく15日に安倍総理がTPP参加を表明した。

この数週間TPP参加を巡って、農業や医療など「聖域」の話ばっかりがマスコミに溢れ、こんな「守り」の話しかしないのであれば、TPP参加なんてやめてしまえば?なんて思っていた。
TPPのような国際交渉では、何を守るかということが大事ではないとは言わないが、まずは何を勝ち取るかという「攻め」がまず大事だ。
そもそも「攻め」の分野がなければ交渉に参加する意味がないからだ。
それに、攻撃は最大の防御ではないが、自国の主張を堂々と展開し「攻め」の姿勢を見せることで、相手側の譲歩を引き出すことは「守り」にもつながる。。米国との事前交渉では、その前に首脳会談で日本がオバマ大統領から「聖域」が存在するという言葉を引き出した代わりに、米国の自動車関税の撤廃に相当期間の猶予を与えることになってしまったが、これも日本が先に「聖域」の存在を主張したがゆえに、それを逆手に取られることによって実現してしまったことだ*1。「聖域なき関税撤廃」を看板とするTPPではありえないことが成立したのも、日本が「守り」の姿勢を強く打ち出しすぎたからに他ならない。

TPP参加を正式表明したことで、ようやく、TPPにおける「攻め」に関する記事が出てきた。
日本経済新聞3月17日付3面より

日本のTPP戦略、投資・サービスで攻勢、政府調達や原産地規則、交渉で緩和求める。
安倍晋三首相が環太平洋経済連携協定(TPP)交渉参加を表明したことで、政府は具体的な交渉方針づくりに入った。TPPの交渉分野は関税のほかにも投資やサービスなど幅広く、攻守の戦略は欠かせない。日本は農業分野で多くの品目の関税維持を目指す一方、サービス分野や貿易ルールづくりで高いレベルの自由化を要求する構えだ
TPP交渉に参加する11カ国は21の分野で共通のルールづくりを進めており、「越境サービス」などの作業部会で国境を越えたサービス関連企業の海外展開のルールを議論している。日本は同部会での交渉に特に力を入れる方針。
 アジアの中には外資系企業によるサービス分野の進出を規制している国が多い。例えばベトナムは小売業への進出を制限しているうえ、マレーシアでも小売りや外食産業の自由化が遅れている。
 TPP交渉で段階的にでも規制を緩和・撤廃できれば、成長力の高い新興国に日本のコンビニエンスストアやスーパーマーケットなどが進出しやすくなる。

各国政府が物品やサービスを購入する際のルールである「政府調達」は日本にとって攻めの分野だ。米国は州政府の公共事業の発注先で、自国企業を優先的に採用する傾向がある。マレーシアも「ブミプトラ」と呼ばれるマレー系国民の優遇施策をとっている。日本は自国を優遇する政策の見直しと内外無差別の扱いを主張する見通しだ。
製品がどこで作られたかを証明する「原産地規則」と呼ぶルールも焦点のひとつ。自由貿易協定(FTA)や経済連携協定(EPA)の関税優遇を受けるには、自分の国で生産したことを証明する書類が必要だ。各国で仕組みが異なっているため、日本は手続きの共通化や簡略化を主張する
投資ルールの交渉は複雑な構図になっている。投資家が投資対象国の規制変更などで損失を被ったとき、投資家と国家の紛争解決(ISDS)手続きの範囲などを議論しているが、オーストラリアなどは導入そのものに猛反対している。日本は既存の投資協定などにISDSを盛り込んでおり、基本的には賛成の立場だ。

TPPと言えば、関税撤廃ばかりが話題に上がるが、サービス業に関する規制も日本にとっては重要だ。コンビニや外食産業をはじめ、教育・介護サービスなど多くの国内サービス産業が、アジアに市場を広げようと直接投資によって進出しているが、この分野では各国の国内規制があり自由なビジネス活動の妨げとなっているケースが多い。このような国内規制を取り除き、日本企業のアジアでのビジネスチャンスを広げることは、TPPが日本にもたらす恩恵の重要な項目だ。
政府調達の分野も、インフラ輸出を増やしていこうとする日本にとっては重要だ。アジア諸国では経済発展に伴ってインフラ需要がどんどん拡大していくし、米国でも高速道路や鉄道などでインフラ更新の需要が拡大することが見込まれているが、公共事業に関しては国産品優遇政策をとる国も多く、日本からの輸出に対する障壁となっている。リーマンショック直後に米国が導入しようとした「バイ・アメリカン条項」もこのような国産品優遇政策の一つだ。WTO体制下では政府調達における内国民待遇、最恵国待遇の適用を義務付ける政府調達協定(GPA)があり、日本や米国、カナダ、シンガポールといった先進国はこれを批准しているが、他のアジア諸国は、このような協定に参加しておらず、露骨な国産品優遇政策を行うことも可能だ。これを防ぎ、インフラ分野での日本の国際競争力を発揮するためにも、日本は積極的な自由化要求をしていくべきだ。TPP反対派の中には日本国内の公共事業に外国企業が参入することを懸念する者がいるが、政府調達の分野では日本は米国より広い範囲で市場を開放しており、失う物よりも得る物の方が大きいのだ。
原産地規則の簡素化は、アジア中にサプライチェーンを張り巡らしている日本にとっては重要だ。TPPによって関税が撤廃されても、関税撤廃を適用するためには、その製品の大部分がTPP域内で生産されたことを証明する原産地証明が必要であり、そのためのルールが原産地規則なのだが、この手続きが複雑であったりコストがかかったりすると、実際に企業が関税撤廃を得ることは困難となる。このため、原産地規則が簡素化されるかどうかは、TPPの実効性の重大なカギとなっているのだ。特に、生産工程が多くの国に分散している産業ほど原産地規則の手間は複雑になるため、この分野におけるルールの簡素化は日本の製造業にとっては重要な関心事項となっている。
最後に投資ルールだ。TPP反対派にはISDS条項を「毒素」条項と呼び、これが入ると日本政府が米国企業から訴訟されまくることになると主張するが、アジアに進出する企業がどんどん増える中、これらの企業の利益を守るためにはISDS条項は必須だ。これがあれば、アジアの国々の突然の政策変更が日本企業に損害をもたらすことを防ぐことができる。確かに、ISDS条項によって日本政府が外国企業に訴えられる可能性もあるが、日本に進出して生きている外国企業より、外国に進出している日本企業の方が圧倒的に多い。差引を考えると、ISDS条項は、日本にとって決して損な条項でなく、むしろ海外でのビジネスリスクに対する武器となる条項なのだ。

もちろん、これらの交渉において日本に有利な取り決めがなされるかどうかは、日本の交渉力次第だ。ある面では米国の力を借りながら、ある面では他国と協力して米国の行き過ぎを抑えながら、何を勝ち取ることができるのか。日本政府の交渉力に期待したい。

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*1:詳しくはここ

国際経済学のテキスト 頂き物

国際経済学―国際貿易編 (Minervaベイシック・エコノミクス)

国際経済学―国際貿易編 (Minervaベイシック・エコノミクス)

神戸大学時代にお世話になった先生が書かれた国際貿易論のテキストです。
貿易がもたらす経済的利益、所得分配効果、経済成長促進効果や貿易政策がもたらす経済効果、国際労働移動・国際資本移動の経済効果、国際通商体制(WTOFTA)に関する議論など、様々な問題について丁寧に解説しています。

送ってくださってありがとうございました。

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小麦だけ保護しても意味がない

日本経済新聞3月6日付17面に、日清製粉グループ本社社長の大枝宏之氏のインタビューが掲載されているが、小麦を原材料として加工するメーカーが小麦の貿易についてどのようにとらえているか知る上で非常に面白い内容となっている。

――足元で円安が進んでいます。
 「今までの円高が行き過ぎで1ドル=90〜100円が適正水準だろう。ただ4月から麦の購入価格は円安に国際穀物相場自体の上昇も重なり1割上がる。原料比率が7割と高いため、価格転嫁できないと大変だ。従来同様、なんとか価格転嫁をお願いしていきたい」

アベノミクスによる最近の円安によって、輸出企業がうるおい株価が上昇し、景気が上向いているというムードが広がっているが、円安というのは輸入価格の上昇をもたらすという意味で諸刃の剣だ。小麦は9割近くが輸入が占めているので円安だから国内品で代替ということも難しい。輸入小麦で生産した加工品を海外に輸出していれば、輸出で円安の恩恵を受けるので小麦価格の上昇の痛みを吸収することもできるが、ほとんどの製品が国内向けである場合、円安は痛みにしかならない。このように主に国内向け製品を生産している内需向け企業(食品・生活品関連企業)にとっては、円安は原材料価格の上昇を痛みを伴うため経営を苦しくさせる。その痛みを埋め合わせるだけ国内景気が良くなれば話は別だが、どこまで景気が回復することやら、下手すると食品や生活必需品の価格上昇が景気の足を引っ張る結果になることもあり得る。

――TPPの交渉参加が近く表明されそうです。
 「詳細が不明で賛否はまだ言えないが影響は大きい。今は小麦で実質50%の関税相当額、ビスケットなど小麦粉加工製品で20〜30%の関税がかかっている。保護にしろ自由化にしろ、これらを一体で考えるよう強く求めたい。農家を守るため小麦だけ保護を維持しても、無税の安い輸入小麦粉加工品が入ってくる。我々も国内工場を閉じて海外で製粉すれば対抗できるが、雇用も考えると閉じられない。製粉業が崩壊し結局は農家も守れない

まず、小麦の輸入制度について述べておこう。
小麦には国際価格に対して約252%相当(正確には55,000円/トン相当)という非常に高い輸入関税がかかっているが、実際にこんな高い輸入関税を払っている業者はほとんどいない。なぜなら、政府が商社から無税で調達した輸入小麦を輸入関税よりもはるかに安い上乗せ価格で製粉業者に売り渡しているからだ。この上乗せ価格は16,868円/トンのマークアップ率+1,530円/トンの拠出金=18,398円/トンとなっている。これが、インタビュー内で述べられている実質50%の関税相当額となっているのだ。

つまり、輸入関税とは政府が小麦貿易を独占するために、民間が直接海外から小麦を購入することを防ぐための参入障壁となっているのだ。
政府は民間を排除することによって、輸入小麦に対して自由上乗せ価格を設定することができるのだ。その収入は政府と農水省OBが中心の組織である製粉振興会の収入となっているのだ。そして、それを負担するのは製粉業者であり、最終消費者である我々消費者なのだ。

このように、製粉業者は政府が売り渡す国際価格よりもはるかに高い小麦を使って加工品を生産するため、その生産コストは安い国際価格で小麦を調達して生産する外国の小麦粉加工製品に比べて高くならざるを得ない。そのため、日本の小麦粉加工製品の国際競争力は低くなってしまう。このため、輸入品との競争から保護するため、小麦粉加工製品で20〜30%の関税をかけて保護しなければならないということになる。

つまり、製粉業者は小麦の保護政策によって高生産コストを強いられる代わりに、自分たちの生産する製品の市場も関税で保護してもらっているということになるのだ。もしもTPP交渉によって、小麦粉加工製品の保護関税が撤廃される一方、小麦については「聖域」となり輸入関税(それによって発生する国家による独占輸入)が維持される場合、国内の小麦粉加工業者は輸入製品に対抗できなくなってやっていけなくなりますよと大枝社長は言っているわけだ。国内の加工業者が生き残るためには、海外に工場を移して海外から直接安い小麦を調達するしかない。そうすれば国産小麦を購入する業者がいなくなるわけで、国内の小麦の生産も維持できなくなってしまうことになる。小麦だけ「聖域」にしても国産小麦を守ることはできないのだ。

――仮に自由化されると何が起こりますか。
 「国が小麦を一括輸入して高い関税分を上乗せし、製粉会社に同一価格で売り渡す今の仕組みは崩れる。我々は安い国際価格で好きな時に好きな種類の小麦を買える。シェアが購買力を左右するため、38%の国内小麦粉シェアを早期に40%に引き上げる。競争激化で再編も起き、国内94社の製粉会社は激減するだろう」

これも面白い。現在、小麦は国が一括輸入しているため、各製粉会社は横並び価格で小麦を入手することができるが、TPPで輸入が自由化されると、製粉会社の調達力によって輸入価格が企業ごとに違ってくることになる。そのため、製粉会社間の競争が激しくなり非効率な会社は淘汰されることになるというわけだ。このように小麦の輸入自由化は小麦市場だけでなく製粉加工市場の構造にも影響を与えることになる。

このように、小麦の輸入自由化はそれを原材料とする製粉業界にも大きな影響を与える。
小麦だけ「聖域」扱いし、小麦粉加工製品の関税だけ自由化すれば、国産小麦を原材料として用いる国内製粉業者は輸入製品との競争に耐えられなくなり、国内生産を縮小させ海外での生産に踏み切らざるを得なくなるだろう。そうすれば国産小麦は大きな販売先を失い生産を縮小せざるを得ない。
逆に、小麦も含めて輸入自由化すれば、製粉業界も競争が激しくなることによってその生産性は上昇することになる。そうなれば国際価格で調達された小麦で生産された日本の小麦粉加工製品が国際競争力を得て輸出を増加させることも可能になるかもしれない。また、小麦粉加工製品の生産コスト低下は製品価格の低下の形で国内消費者に恩恵ももたらすことになるし、生産性の向上は製粉業界およびその関連産業での生産拡大による雇用増加、賃金上昇も引き起こすことになるだろう。

このように、貿易自由化の影響を考える場合には、それを原材料として生産する他業界への影響まで考えなければならない。

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日米自動車協議合意へ

日本経済新聞3月6日付1面より

TPP車関税で日米合意、交渉参加、首相、来週にも表明。
日本の環太平洋経済連携協定(TPP)交渉参加への動きが最終局面に入った。米国が日本車にかけている関税を当面維持し、簡単な手続きで米国車を輸入できる仕組みを拡大することで日米両政府が大筋合意した。軽自動車の優遇税制見直しなどは今後の協議に委ねる。自動車分野の協議にめどがついたため、安倍晋三首相は来週にも交渉参加を表明する。
米国やシンガポールなど11カ国が参加するTPP交渉に入るには、各国から承認を得る必要がある。とくに米国は、TPP交渉参加の事実上の条件として、日本に対して自動車の市場開放や、かんぽ生命保険の事業拡大の見直しを求めてきた。
 米国が条件を提示する背景には、他国との通商交渉で米議会の承認が必要というルールがある。米議会では日本がTPPに参加すれば米市場に日本車が大量に流入し、米国自動車メーカーの売り上げが減るとの懸念が根強い。すでに日本側の自動車関税はゼロだが、税制や認証手続きなど関税以外の障壁が多く閉鎖的だと主張してきた。
 打開策の一つとして、日本はTPP交渉で、米国の自動車関税の撤廃に長期間の猶予を設けることを容認する。米国は乗用車(2・5%)とトラック(25%)に関税をかけている。TPPでは関税の即時撤廃が原則だが、米国が実際に撤廃するのに猶予期間をつくる。
 米韓自由貿易協定(FTA)では同分野の関税撤廃に5〜10年の猶予期間を設けていたが、さらに長い期間になる見込みだ。実際にどれくらいの猶予期間にするかは今後の交渉で詰める。

 日本が自動車分野で米側の主張を受け入れるのは、コメや砂糖など農産品で関税撤廃の例外扱いを求めるうえで、一定の譲歩が必要とみているためだ。関税撤廃の例外を相互に認めることで、日本のTPP交渉参加問題が入り口で膠着する事態を打開する狙いがある。ただ、こうした動きが広がれば、ベトナムなど新興国で高い関税が温存されるなど貿易自由化の水準が下がる懸念もある。
 「輸入自動車特別取扱制度(PHP)」も見直す。同制度は輸入台数が2000台までなら簡単な検査で国内を走ることができる仕組みだが、上限を5000台程度に引き上げる。

前回、日本の通商外交の腕の見せ所と書いた日米自動車協議だが、あまりにもあっけなく片が付いた。
関税、輸入手続き、技術基準、税制、流通など10分野ほど項目があるとの報道があったが、記事内では関税と輸入手続きの二つで合意したとあった。税制に関しては先送りにし、技術基準、流通などでは妥協しなかったことになる。

無理な条件を呑まされなかった(輸入手続きの簡素化は他の分野に比べれば一番厳しくない条件だと思う)という点では素直に評価したいところだ。その一方、自動車関税の撤廃に猶予を作ることを許したことは、TPPから得たはずの利益を損なうことになるのでもったいない話と言わざるを得ない。

その理由は、記事内にあるように日本側が一部の農産品に対する関税撤廃の例外を得たいと考えているからで、実際に今後の交渉で関税撤廃の例外を得るのであれば、今回の日本側の譲歩は交渉の戦略として評価されることになるだろう。

しかし、記事内にあるように、日米で即時関税撤廃の例外を作ってしまったことは、今後のTPP交渉においてマイナスの影響を及ぼす可能性がある。自国の市場を開放したくないアジアの国々などはこのことを盾に自国市場の開放を先延ばしにしようとするだろう。そうなればTPPによって得る成果はどんどん少なくなっていくだろう。

しかし、あれだけ日本の自動車市場は閉鎖的だと騒いでいた米国が輸入手続きの改善ひとつで手を引いたのは笑える。ほしかったのは日本市場の開放より、自国市場の保護ということやね。そういう意味では日本も米国も同じということ。

とはいえ、今回の日米協議は、即時関税撤廃は理想であり、現実的には交渉する中で例外項目が出来上がっていくということを示すいい見本になった。交渉に参加するかしないかではなく、参加して何を獲得し何を譲歩するのかを得るかということを議論していくべきなのだ。

今日はこの辺で