外国人労働者受入について真剣に考える時期に来ている

日本経済新聞2月5日付2面より
外国人労働者拡大、静かに模索――「移民」は介護から?、技能実習見直し焦点(真相深層)
安倍政権は1月にまとめた成長戦略の検討方針に「外国人受け入れ環境の整備」と明記した。「移民」や「単純労働者」と言い出せば国論を二分しかねない問題。そこで政府は、受け入れの対象を低・中レベルの技能労働者までじわりと広げるステルス(見えにくい)作戦を進めようとしている。外国人労働者が6月にまとめる成長戦略の焦点に浮かんできた。
 保守系の政治家には外国人嫌いもいるが、安倍晋三首相は違うようにみえる。議事要旨からは削除されたものの、首相は最近の経済財政諮問会議で「移民というとたいへんな議論になってしまうが、外国人材は重要」という趣旨の発言をした、と関係者は明かす。
<人口減対策に>
政府はなぜ、いま外国人労働者の受け入れを拡大しようとしているのか。首相官邸の政策会議に参加する民間議員はいう。「日本が総人口減少にどんな手を打つかに、外国人投資家の関心が極めて高いからだ
 第1弾は建設労働者だ。型枠工、左官といった技能労働者は1997年の450万人から足元では約100万人減少。2020年の東京五輪や震災復興をにらみ、外国人に頼らざるを得ないと官邸は判断した。1月24日の閣僚懇談会で菅義偉官房長官は「年度内をメドに時限的な緊急措置の決定を」と踏み込んだ。
 「4万〜5万人の外国人労働者は必要」と国土交通省幹部はそろばんをはじく。技能実習制度で中国やベトナムなどからきた建設労働者は年1万5千人程度いるが、建設に絞った特例は難しい。そこでウルトラCとなるのが「特定活動」という在留資格を使う案だ。法改正はいらず、法相告示だけで在留資格を与える外国人を加えられる。
 次は介護だ。今は技能実習制度の対象外だが、昨年10〜11月の産業競争力会議雇用・人材分科会で民間議員から「介護を加える必要がある」(武田薬品工業の長谷川閑史社長)といった声が続出した。6月をメドに政府が打ち出す技能実習制度見直しの焦点となる。
 日本は経済連携協定(EPA)に基づきインドネシアとフィリピンの介護福祉士候補を累計で1000人以上受け入れている。介護の実習生を認めれば、介護福祉士候補より技能の低い人材が大量に来る可能性がある。しかも高齢化で日本の介護現場での人材不足はかなり先まで続く。「事実上の移民が介護から始まる」といわれる理由だ。
 規制緩和を唱える安念潤司中大教授でさえ「製造分野と違い、介護は対人サービス。職場の広がりは大きく、制度の運用を監視するコストも莫大になる」と予想する。新たな技能検定試験をつくる必要もあるだろう。
 そもそも技能実習制度は「国際貢献の一環として途上国に日本の技術を移転する」(厚生労働省)のが本来の目的。人手不足対策を前面に出し過ぎれば「目的外利用」との批判を招く。
 次期経団連会長の榊原定征東レ会長が求めているのは実習生の滞在期間を現行の3年から5年以上に延長する規制緩和。単純に期間を延ばすと実習生が定住者に近づく。
 日本では専門的、技術的分野の外国人は受け入れる一方、単純労働者の入国は認めないのが基本だ。だから単純労働者を含む外国人で人手不足を解消するという“本音”を言えずにきた。その結果、制度を小手先でいじろうとして、無理が生じているのが現状だ。
<制度設計議論を>
賃金や残業代の未払いや旅券とりあげ……。こうした実習生の人権侵害の多発を理由に制度廃止を求める指宿昭一弁護士は「代わりに外国人をしっかり受け入れる制度を議論すべきだ」と語る。
 政府はこれまでも法の網をかいくぐって一歩ずつ外国人の受け入れを増やしてきた。その限界も見え隠れしている。

少子高齢化が進み、人口減少が進むことが明らかな日本にとって、成長力持続のために、外国人労働者の受け入れは真剣に議論しなければならない課題だ。
外国人労働者の受け入れについては、専門能力、技術力を持つ高度人材の受け入れと、記事内にあるように建設や介護などの分野の単純労働者の受け入れは別に考える必要があるだろう(個人的には介護を単純労働者と考えるのはどうかと思いますが・・・)。

高度人材の受け入れについては以前ここここに書いたように、日本政府は積極的に受け入れようとしているがなかなか優秀な外国人がやってこないのが現状であり、これはこれで由々しき問題だ。

一方単純労働者については、記事内にあるように技能実習制度により一定数の外国人労働者を受け入れており、一部の工場地域や農村では貴重な労働力となっているが、その一方で記事内あるような人権侵害ともいえるような被害も出ているそうだ。
今回の技能実習制度の拡大は、復興需要や五輪特需に対して建設業に従事する労働者が不足していることを受けて出てきたものらしい。
しかし、長期的に外国人労働者の受け入れが必要となる日本の現状を考えると、これを機にある程度の単純労働者の流入を前提とした制度設計に取り組み時期に来ているのは間違いなく、政府は成長戦略の柱として真剣に議論してほしい。

今日はこの辺で

金融市場の開放性と通貨危機との関係

EconbrowserよりGuest Contribution: "Financial Openness and Currency Crises″を読みました。

Common wisdom often suggests that financial openness makes a country more vulnerable to a balance of payment crisis, as it allows foreign capital – which tends to be much more volatile than domestic financing – to destabilize the balance of payments. Yet the results of our recent paper (Frost and Saiki, 2013) suggests the opposite: capital account openness is associated with a lower chance of currency crises, perhaps because it fosters stronger institutional development. While surges in capital flows, especially in the form of short-term debt flows, make a country more vulnerable to a currency crisis, financial openness as measured by the Chinn-Ito index is associated with a structurally lower vulnerability, particularly for advanced economies. This result highlights the role of financial openness in safeguarding a country from a currency crisis.

(和訳)
一般的な通念では、金融市場の開放は、外国資本の動向−国内金融よりもかなり不安定な傾向がある−が国際収支を不安定化させることによって、その国を国際収支危機に陥りやすくするとよく言われることが多い。しかし、我々の最近の論文では、その通念と反対の結果が示されている。つまり、資本市場の開放(国際資本移動の自由化)は、通貨危機に陥る可能性を少なくしており、その理由は恐らく資本市場の開放が国内制度の発展を促進させるからだろうというものだ。資本移動(特に短期債務の形のもの)の急増は、その国を金融危機に陥りやすくさせるが、Chinn-Ito指標によって測られた金融市場の開放性の拡大は、特に先進国において構造的な脆弱性の改善と関連している。この結果は、金融市場の開放性が通貨危機からその国を防御する役割を持つことを示している。

一般的に、国際資本移動の自由化は、特に新興国においては、資本流入の急増とその後の流出を通じて通貨危機債務危機のような金融危機につながると考えられています。このような観点から、特に世界金融危機後は、国内経済の安定化のために国際資本移動に対して制限を与える新興国が増えています。しかし、このブログで紹介されている研究では、国際資本移動の自由化によって通貨危機に陥る可能性を少なくすることができ、それは国内制度の発達している先進国において特に顕著だとされています。

最近起こっている、米国の金融緩和縮小に対する予測を契機としたアルゼンチンをはじめとする新興国の通貨不安を考えると、国際資本移動が通貨危機を回避させる力を持つというこの研究結果は奇妙に見えるかもしれないが、このブログの最後では、国内制度が資本市場の開放に適したものに整備されていない新興国経済においては、資本移動を制限することが有効な時もあるとエクスキューズしています。

For country authorities trying to make their financial markets more robust to currency crashes, the results suggest that liberalization of the capital account, if done correctly, will bring better long-run outcomes. This is particularly relevant for countries which are relatively more advanced in terms of institutional and financial development. For less developed countries, there may be a stronger case for capital restrictions until institutional capacity is strong enough for open financial markets. For all countries, monitoring gross capital flows is vital. Yet if the right policy conditions, such as stable macroeconomic policy and prudent financial regulation, are in place, then financial openness can successfully help keep costly currency crises at bay.

(和訳)
通貨危機に対してより強固な金融市場を整備しようとする国にとって、この研究結果は、もしそれが適切になされるなら、資本市場の自由化がより望ましい長期的な結果をもたらすだろうことを示している。これは、制度や金融市場がより発展した国において成立する。発展途上国にとっては、制度上の適応力が開放的な金融市場に対して十分強化されるまでは資本移動の制限が有効に機能するかもしれない。全ての国にとって、資本移動の動向を注視することは重要である。しかし、もし安定的なマクロ経済政策や慎重な金融規制といった適切な政策状況が実現するのであれば、金融市場の開放によって犠牲の伴う通貨危機をうまく遠ざけることができるだろう。

今日はこの辺で

世界経済のトリレンマについて

グローバリゼーション・パラドクス: 世界経済の未来を決める三つの道

グローバリゼーション・パラドクス: 世界経済の未来を決める三つの道

『グローバリゼーション・パラドクス』について、いろいろな方面から反響があり大変ありがたく思っております。

この本の核となる概念は、世界経済のトリレンマと呼ばれるものです。
今日は、ロドリックが(恐らく)はじめてこの概念について述べた論文から世界経済のトリレンマとは何かについて説明していきたいと思います。

"How Far Will International Economic Intergration Go?" Jounrnal of Economic Perspective Vol.14, pp.177-186

この論文では、次の3つは同時に成り立たないとされています。

1)国際経済統合(International Economic Integration)
国家が国境を超えた財・サービスの取引や投資に干渉することがなくなるため、各国における取引費用や税制の違いがほんの小さなものとなり、商品価格や要素報酬(賃金・金利・地代など)の国際格差がほぼ完全になくなる。
2)国民国家(The Nation-State)
一定の領地(国土)を持ち、法律を制定し執行する独立した権力を持つ政府の存在
3)民衆政治(Mass Politics)(Mass Politics)
参政権が広く与えられているため、国民の政治への参加度が高く、政治制度は民衆の政治運動に対して敏感に反応する。

上の3つが同時に成り立たないということは、「完全な国際経済統合」を実現しようとすると、「国民国家」か「民衆政治」のどちらかが失われていくことになります。

まず、「完全な国際経済統合」と「民衆政治」を両立させるためには、世界連邦ともいうべき超国家的な立法機関や行政当局が作られ、各国の国民が世界連邦の政治に参加できるような体制を設置する必要がある。これは、各国単位で実現されていた「民衆政治」が世界規模で実現することを意味する、世界が一つの国のようになるということだ。
このとき、各国がこれまで持っていた権限(マクロ経済政策、租税政策、規制政策を制定する権限)は世界連邦によって激しく制限されることになる。世界連邦は世界市場全体に目を配りながら政策を決定していく。こうすることによって、各国の政策の違いによって生じていた国家間の取引費用はなくなり、国家間の財・サービス・資本の移動はより活発になるのだ。

一方、「国民国家」を維持しながら「完全な国際経済統合」を進める場合、各国が政策を決定する権限を持ちつつ、経済統合を進めていくためには、各国の規制(安全基準や環境基準など)や税制が国際標準と呼ばれるものに収束されるか、国際間の経済取引を妨げないように制定されていく必要がある。
このような世界では、各国は統合された市場からの信頼を得るように行動せざるを得なくなる。なぜなら、国際市場が大きくなるにつれて、資本の海外流出や国内企業の海外流出による損害は大きくなるからだ。このため、各国は市場関係者や投資家が望ましいと考える政策(市場友好的政策)である金融引き締め、小さな政府、低い税負担、柔軟な労働規制、規制緩和、民営化、貿易自由化等を競い合うようになる。
このように、政府が市場友好的な政策を志向するようになると、各国政府の政策余地は限定されていくようになる。例えば、市場からの信頼を得るために、経済政策を決定する中央銀行や財政当局は政府から独立した機関となり、国内政治の影響から隔離されるようになっていく。政府の提供する社会保障は削減されたり民営化されていき、労働組合や環境団体などの市民運動政治団体が政策の決定に与える影響が弱くなっていくことになる。そうすることによって、「民衆政治」は機能しなくなっていくとロドリックは述べている。

まとめると、「完全な国際経済統合」を実現するためには、超国家的な立法機関、行政当局を作り、それに民衆が参加していく「世界連邦(グローバルガバナンス)」を作り上げるか、各国が国家主権を維持するが、各国は国家間の経済取引を妨げる取引費用を削減することを目的に行動するために市場友好的な政策を志向するようになり、その結果民衆が政治に参加する余地が狭まっていくようになることを選択するかしかなくなる。

このため、国家主権を維持しながら、国民による政治参加(民衆政治)を維持するためには、国際経済統合(グローバル化)に制限を加える必要があるというのがロドリックの見解だ。
そして、戦後直後のブレトンウッズ体制はそれが実現していたとロドリックは述べている。当時の国際貿易体制であるGATTでは、一部工業品の貿易自由化は着実に進んでいたが、繊維産業や農業、サービス業といった多くの産業は自由化の例外扱いとされていた。さらに、各国は国際資本移動を規制しており、国際経済統合は実質的にはゆっくとりとしか進んでいなかったのだ。このように国際経済統合が弱い状況で、各国は国家主権を国民の期待に沿える形で行使していったというのだ。その結果、世界史的に見ても非常に高い経済成長が実現し、各国はそれぞれの国民性に応じた多様な形での国内制度を構築していったのだ。

では、今後世界経済はどうなっていくのか?
この論文では、ロドリックは100年という超長期的には世界連邦が実現するだろうと予想している。しかし、そこから外れるシナリオとして次の2つのシナリオもあり得ると予想している。
1つは、度重なる金融危機の結果、各国の国民が市場友好的な政策に反発を持つようになるというもの、もう1つは各国政府が経済統合に伴う分配や統治体制に関する困難に直面し保護主義に回帰するだろうというものだ。前者は経済統合に伴う民衆政治の衰退に対する反発から、後者は国家主権の弱体化に対する反発だと考えられる。

この論文は2000年の論文なので世界金融危機のはるか前に書かれたものだが、現在の世界経済の置かれている状況を考えると、ロドリックの考える悪い方の2つのシナリオに世界経済が向かいつつあるとも考えられる気がします。

今日はこの辺で

アゴラで『グローバリゼーション・パラドクス』が紹介されました。

アゴラで池田信夫氏による書評が掲載されました。
世界経済のトリレンマ - 『グローバリゼーション・パラドクス』

アゴラのような読者の多いサイトで紹介されるとは大変ありがたいです。

しかし、池田信夫氏が自身のTwitter

これは「TPP反対派のバイブル」らしいが、TPPにはふれてないし農業保護にも反対。反対派は英語読めないんじゃないか。

とつぶやいているのには正直驚いた。誰がそんなことを言っているのだろう・・・反響が高いという意味ではありがたいが、この本は別にTPP反対派のために書かれたものではない。

おそらく共訳者である柴山氏がTPPに反対していることからそういう風に考える人もいるのだろうが、柴山氏と私がこの本を翻訳したのはそのような狭い了見ではありません。そのことは、本のあとがきで柴山氏自身が書かれています。

最後に翻訳の経緯について記しておきたい。私は、以前からグローバリゼーションを巡る日本の論壇が、「賛成派」と「反対派」にくっきりと色分けされてしまうことに不満を感じていた。昨今はTPPを巡る論争が盛んだが、ここでも「開国か鎖国か」といったずさんな二分論が少なからず登場する。だが、グローバリゼーションの現実には、賛成か反対かという単純な図式で捉えきれない複雑さがあるのではないか。世界経済の未来についても、このままグローバル化が順調に進んでいくというシナリオ以外に、もっと多様なシナリオがあり得るはずだ。そんなことを考えていたとき、たまたま本屋で出会ったのが『グローバリゼーション・パラドクス』の原著であった。
(『グローバリゼーション・パラドクス』訳者あとがきより)

実物の書籍の中の「訳者あとがき」に書かれているが、私は国際経済学を専門にしていることもありTPP交渉参加に関しては「賛成」の立場だ。私が柴山氏とこの本を翻訳する時に話をしたのは、TPPに賛成か反対かなどという目先のことではなく、世界経済のグローバル化を大きな視点で考えた本書の内容は、今後の世界経済の趨勢を見る上で大いに役に立つものであり、日本の読者もぜひ読むべきだということであった。
実際、TPP交渉参加の話が出てきてからは、書店に行っても目に付くのは「TPPはアメリカの陰謀だ」とか「TPPに参加すると日本は破滅する」といった、バカらしくて読む気にもならない多数のTPP反対派の本と「TPPは日本の経済成長政策の切り札だ」とか「TPPで日本は繁栄する」といった過剰なまでのTPP賛成派の少数の本であり、世界経済の在り方を学術的見地からしっかりと理解しようといった良書はほとんど見かけることがなくなってしまったと私は思っていたところだった。
だからこそ、柴山氏からこの本の翻訳の話が来たときに二つ返事で協力することにしたのだ。

もちろん、TPP反対派のような自由貿易を敵視する人びとから見れば、ロドリックの「各国が国内事情に応じた政策を採れるようにグローバリゼーションには制約を加えるべきだ」という議論は魅力的であろう。
しかし、自由貿易推進派にとってこの本は読む価値がない本かと言えばそうではない。ロドリックが批判しているのは「グローバリゼーションがもたらす社会的影響や利害対立を考えず、ただひたすらに国家間の貿易や投資に関する取引コストを撤廃することを目的とする貿易原理主義市場原理主義者」であり、国益に適う自由貿易の在り方を慎重に考えながら進めるグローバリゼーションについてはロドリックは決して反対しないであろう。実際彼は貿易や金融のグローバリゼーションについては行き過ぎだと批判する一方で、労働のグローバリゼーションについては、メリットの方がデメリットよりも大きいと賛意を示している(ただし、"ある程度の"グローバリゼーションだが)。

長くなったが、要はこの本はTPP反対派のためだけに書かれたものではなく、グローバリゼーションが進展するということは一体どういうことなのか、そして健全なグローバリゼーションとはいったい何なのかということを知りたい人のための本だということです。

今日はこの辺で

(追加)

単純な自由貿易主義を「資本主義1.0」、ブレトン・ウッズ体制を「資本主義2.0」とし、それを21世紀にふさわしい「資本主義3.0」に変えようという主張も、中身が曖昧だ。具体的な提言としては、国際資本移動の規制は強めるべきで労働移動の規制は弱めるべきだという常識論ぐらいしかない。

という、池田氏の見解はその通りでしょう。ロドリックは断定的に一つの大きな物語で複雑な世の中を単純化原理主義的な解決法を提示するような学者を批判しており、経済学者が政策を考える際には、時代やその国固有の事情に配慮した政策を考えようとする姿勢が必要だと考えています*1。なので、彼の議論はどこか曖昧であるし、ズバッとした解決法を提示してくれるわけでもありません。しかし、僕は世の中はそんなものだと思うし、そのような世の中の複雑性をきちんと示していることにこの本の価値はあるのではないかと考えています。

*1:ロドリックは本書の中で前者の考え方の経済学者を「ハリネズミ」、後者の考え方の経済学者を「狐」と呼び、自身は「狐」の経済学者であるとし「ハリネズミ」経済学者を批判しています

グローバリゼーション・パラドクスの訳本を出しました

グローバリゼーション・パラドクス: 世界経済の未来を決める三つの道

グローバリゼーション・パラドクス: 世界経済の未来を決める三つの道

同じ滋賀大学の柴山先生と共訳したダニ・ロドリック(著)の『グローバリゼーション・パラドクス』が白水社より発売されました。
訳本を手掛けたのは初めてなので、訳そのものにはあまり自信はないのですが、内容には自信があります(内容が素晴らしいと思ったから訳したわけですから)。
ダニ・ロドリックはつい先日までハーバード大学の教授でしたが、現在はプリンストンに在籍する優秀な研究者です。

この本は、彼自身の研究のみならず国際貿易、国際金融、開発政策、政治学などの近年の政治経済学の研究に基づいて書かれた一般書であり、国際貿易、国際資本移動の自由化が国内にもたらす社会的コストを示すことによって、各国の政策余地を奪う形でのグローバリゼーションの追求がもたらす弊害について述べられています。
貿易や国際資本移動(国際金融・国際投資)における取引コストを徹底的に引き下げる形のグローバリゼーションの推進(ハイパー・グローバリゼーションの追求)は、各国がそれぞれの国内事情に応じた独自の経済政策を行う余地を狭め、そのことによる社会の不安定化が最終的には国内事情を優先する政府によるグローバリゼーションの放棄(極端な保護貿易政策の導入など)につながってしまう可能性があるとロドリックは警告しています。
徹底したグローバリゼーションの追及が、本来グローバリゼーションの恩恵を被るはずの民衆からの支持を失う結果となり、最終的には国内事情を優先する政府によってグローバリゼーションが後退してしまう、これが彼の言う『グローバリゼーション・パラドクス』なのではないかと思います。

ロドリックは、より良きグローバリゼーションのためには、徹底した貿易・国際資本移動の自由化や国際的な制度・ルールの統一ではなく、各国が国内事情に応じた政策を採る余地を残した緩やかなグローバリゼーションが必要だと述べています。つまり、国内事情に応じた保護貿易政策の余地や国際資本移動に対する規制(トービン税)などを許容することによって、グローバリゼーションは各国の国内事情と調和して持続可能なものとなるというのです。

このような彼の考え方にはもちろん賛否があるでしょうし、彼の示した最終的な解決策にも問題点はたくさんあるかと思います。しかし、グローバリゼーションの在り方、そしてより良い世界経済とはどういうものかを考える際に、この本は一つの指針を人々に与えるものだと僕は強く思っています。

国際経済学を勉強する人、もしくは世界経済の未来に関心のある人には是非読んでいただきたいです。

今日はこの辺で

日本経済新聞7月1日付3面より

エコノフォーカス IT・工学や企業経営――外国人専門家なぜ来ない
優れた技術者や研究者といった「助っ人外国人」が日本に来ない。本国から親を呼び寄せやすくしたり、永住権を認める条件を緩和したりする制度が始まって1年あまりだが、利用件数は目標の4分の1だ。海外から優秀な人材を呼び込むには制度の改善とともに、魅力のある税制や街づくりへの対応も必要になりそうだ。
 「私の収入では無理なんですね」。30代のインド人の研究者は、優遇制度の相談で訪れた都内の行政書士事務所で肩を落とした。学歴や日本語能力は問題なかったが、年収が足りず認定基準に届かなかった。
 優遇制度は「高度人材ポイント制」と呼ばれ、2012年5月に始まった。ITや工学の技術者のほか、企業と大学の研究者、外資系企業の幹部が主な対象だ。年収や学歴を点数にして、70点に達すると認定を受けられる。相談を受けた行政書士飯田哲也氏は「若い大学の研究者だと高い年収をもらっている人は少ない。あまりにも条件が厳しい」と話す。

高度人材と認められても、恩恵を受けるまでに第2のハードルが待ち受ける。外国人に人気なのは子育てや家事のために、本国から親やメイドを呼べる制度だ。しかし親を呼ぶには年収1000万円以上で子どもが2歳以下、メイドを呼ぶにも年収1500万円以上でメイドの月収20万円以上、子どもが12歳以下でなければならない。
 高度人材が受けられる他の恩恵は永住権の取得条件の緩和。通常の「在留10年」から、「高度人材として働いて5年」になる。しかし永住を望む外国人の多くは働く前に5年ほどかけて日本の語学学校や大学で学んでいる。「働き始めて5年もすれば在留期間が10年になるため、永住権のためにポイント制を使う人はほぼ皆無」(飯田氏)
 ポイント制の利用は開始11カ月で434人と、開始1年で2000人という最初の目標を大きく下回っている状況だ。

日本は国際的に見ても、高い能力を持つ外国人の受け入れが遅れている。高等教育を受けた人口に占める外国人移住者の比率で見ると、日本は先進国で最低の0・7%。28%のオーストラリアや、10%台の欧米主要国と大きな開きがある。
 足元ではこうした外国人の受け入れ人数は年1万人ほどにとどまり、リーマン・ショック前の07年の半分だ。急速な少子高齢化に直面するなかで、海外からより多くの優秀な人材を招くことが急務となり、政府は10年にまとめた「新成長戦略」でポイント制の導入を決めた。
経済産業省の試算によると、日本で働く専門職の外国人を20年までに倍増した場合、実質GDP(国内総生産)を1・7%、金額にして8・6兆円押し上げる。第一生命経済研究所の熊野英生首席エコノミストは「日本に無い技術や発想が生産性を上げるうえ、収入を国内で使えば消費の押し上げにもつながる」と話す。
 政府が高度人材を増やすと言いながら使い勝手の悪い制度になったのは、「むやみに外国から人を呼ぶと不法就労が増える恐れがある」(法務省幹部)との不安が強かったためだ。しかし昨年末に発足した安倍晋三政権は年収の条件や、永住権の取得期間を緩和する方針を打ち出しており、年内に新しいポイント制を始める方針だ。経済再生を第一に掲げる政府が、どこまで魅力ある制度をつくれるかに注目が集まる。

1年半くらい前に優秀な外国人から避けられる日本で、外国人の高度人材を日本にもっと招き入れるために、政府がポイント制の導入を検討しているという記事を書いたが、その後実際にポイント制は導入されたものの、制度の使い勝手が悪く外国人材の流入がそれほど増えていないという話。

最近テレビで日本の文化にあこがれて日本にやってくる外国人が良く取り上げられるが、制度としては外国人にとって日本の門戸は狭いということですね。

今日はこの辺で

Working Paperを発行しました。

滋賀大学経済経営研究所からWorking Paperを発行しました。

タイトルは"R&D Internationalization, Knowledge Spillovers,and Governmental Policies for Attracting R&D-Related FDI"で、神戸大学経済学研究科の院生の松岡氏との共著です。

論文誌投稿中のため、残念ながら非公開ですが、要旨だけ記しておきますので、興味のある方はご連絡ください。

Abstract
 In the present paper, we consider the welfare effects of governmental policies for attracting the R&D carried out by multinational corporations (i.e., policies that subsidize the cost of R&D-related foreign direct investment) by extending the model proposed by Belderbos, Lykogianni and Veugelers (2008) that incorporates inter-firm knowledge spillovers. We consider two cases: one in which a single country subsidizes the incoming multinational corporations unilaterally, and the other in which both countries subsidize the incoming multinationals. In the former case, we show that the welfare of the subsidizing country improves through the activation of inter-firm spillovers. In the latter, we find that both countries can enjoy higher levels of welfare through the activation of inter-firm spillovers. These results suggest that R&D-inviting subsidy policies are mutually beneficial for both countries.
(訳)この論文では、Belderbos, Lykogianni and Veugelers (2008)によって提示された企業間の知識のスピルオーバーを伴う理論モデルを拡張することによって、多国籍企業のR&D(研究開発)活動を誘致する政策(R&D関連の直接投資のコストに対して補助金を支給する政策)がもたらす経済厚生効果を考慮している。我々は次の二つのケースを考慮している。一つは、一国が一方的に相手国の多国籍企業を誘致するために補助金を支給するケース、もう一つは2国が相互に相手国の多国籍企業を誘致しあうために補助金を支給するケースである。前者のケースでは、国内における企業間スピルオーバーの活性化によって政策実施国の経済厚生が改善することが示されている。後者のケースでは、企業間スピルオーバーの活性化によって両国とも経済厚生を改善することが示されている。これらの結果は、R&D活動を誘致するための補助金政策が互恵的性質を持っていることを示している。